うつ病と闘わない のほほん闘病記?

焦らない頑張らないのが最高の治療法ってことで、 のほほんと頑張りつつ頑張らない日々。


 うつがなかなか治りません。もう三年にもなるのかなあ。

 でも、必ず治る病気なのだから。

 ここからはちょっときつい話になるのかもしれません。
 いまはちょっとしんどい、という方はどうか避けてください。









 必ず治るから、とお医者さまや家族に言われても、ときどき辛くて耐えられなくなるときがあります。
 うつはむごい病気だと思います。
 どれほど辛いか、苦しいか、体験した方ならいやというほど味わっていらっしゃるかと思います。
 なのにいつ治るのか、いつこの苦しみが終わるのか分からない。
 命に関わる病。ガンなどは確かにひどく痛むといいますし、理不尽にも命の終わりがやってくることもあります。

 でも、終わりがあるのです。
 完治するか、あるいは苦しみから永遠に別れられるときが。苦しみが終わる瞬間が必ずくるのです。

 うつは、きっと治る。そう信じようとしても、もうダメだ、苦しすぎると思うときや、他の人に迷惑をかけるだけの自分、もう生きていちゃいけない、と思うことすらあります。

 ひどい言い方ですが、うつは自分の手でしか命を終わらせることができない病なのかもしれないとこの間考えてしまいました。なんて、ひどいことを考えるのだと自分で自分が悲しくなりましたし、治ると信じることが何より大切だと分かっているつもりなのですが。

 こんな事考えること自体、うつの病状です。病が考えさせる、偽りの思いです。

 でも、考えてしまいます。
 生きていける気がしない。生きていちゃいけない。
 でも死んだら、誰かが悲しむことでしょう。誰も悲しんでくれる人がないと自分では思っていても、誰かが必ず誰かの死を悼むのです。
 ブログで知り合っただけの同病の人が死を選んだなら、それがたとえ一度も会ったことのない人でも、きっと悲しいことでしょう。

 自分が死を考えていることを家族や友人が知ったなら、その心労はどれほどのものでしょう。

 この間、夫に自殺願望を悟られてしまいました。絶対、死を選ばないと約束することができませんでした。そこまで、自分に自信がありませんでした。でも、いつ行動に走るか分からない私を抱えていたのでは、夫は神経をすり減らしてしまうでしょう。

 家には老いた猫がいます。
 この猫を見送るまでは、絶対に死を選ばないと約束しました。そのあとのことは正直自信がありません。
 そんなこというのかバカ! と夫は怒りましたし、自分でも情けない、甘えた考えだと思います。
 でも、約束しました。
 約束したからには守ります。苦しくても守ります。

 そしたら、ちょっとだけ楽になれたような気がしました。
 この猫を見送るまでは。そこまでは自分が生きる義務と価値のある時間なのだと。その先は、もしも、もしも辛かったなら、逃げ出す方法を選んでもいいのだと。(よくないんですが) 
 そう考えると、ちょっとだけ楽になれたのです。

 こんな考えは、甘えた情けない考えなのだと思います。

 でも誰かの力を借りて、私の場合猫ですが、生きる理由と、生きている期限を切れたなら、その間だけでも生きていける気が、生きていこうという気が湧いてきました。

 猫を見送ったあと、また次の目標を見つけられれば、辛くてたまらなくてもこの病気ともつきあっていけるかもしれない、と思います。

 こんな考え方でも生きていけるなら……。
 やれるところまでやってみたいです。

 そして、進めるところまで進む、どれほど苦しくても進んだ人間がいる、という事実が、私たちのあとに苦しむ人たちの、ほんのちょっとの、ちいさなちいさなことだとしても支えになるなら、と思います。

 長々と、痛い文章ですみませんでした。