うつ病と闘わない のほほん闘病記?

焦らない頑張らないのが最高の治療法ってことで、 のほほんと頑張りつつ頑張らない日々。


 男性の車の運転を見ていると、うまいなあと思うことが良くあります。
 男性と女性とでは、脳の空間認識力が違っていて、三次元の立体的な認識は、断然男性の方が優れているのだそう。
 以前、吹雪の道の運転で、私は一面の真っ白な視界に距離感も何も失ったのに、夫は大丈夫分かるからと、低速ながら、無事家までたどり着けたとき、あー、やっぱり違うんだなと感じました。
 車は男性が作ったもの。今は開発に女性も関わっていると思いますが、最初作ったのは男性。
 私の勝手な推測ですが、車は男性向きにできているんじゃないかと思います。
 なので、女性ドライバーに対して、なんだよ女の運転か、道理で下手だと思ったとおっしゃる男性がいますけど、それは当然なんですよ、と言ってあげたくなったりします。女性がなにもかも最初から車を作ったら、何か根本的に違うものを作り上げるんじゃないかなあと思います。それでたぶん、男性にはとっても運転しにくかったり。なんだ、おかしな運転だと思ったら男性ドライバーだったのね、とか女性が言う世の中だったり。


 今の日本の社会って、一人でないけれど、たぶん何人か、何十人、何百人かの基準で作られたものなんじゃないかと思うんです。
 だから、その基準に合わない人は、とっても生きにくい。
 少なくとも、うつ病患者にあった社会ではなさそう。

 でも、今の社会にはうまく適応できなくても、生き物のとしての人間として自然界に適応できていないわけではないのかもしれないなと思っています。

 朝起きられないのだって、他の健康な人が疲れはじめる夕方からはなんとか動けることが多いわけで、食糧確保の時間帯が、他の人とずれれば食べ物を見つけられる確率が上がるって事かもと考えたり。

 倒れて起きあがれなくても、そこに草があれば、むしって口に入れ生き延びることができたり。
 身体がだるくても、眠っていれば体力温存と回復が図れるわけで、今の社会から見れば、「働かない、働けない」という状態も、自然界での動物を見ていれば当然ある状態に見えますし。

 うつ病は人間として生きられない病気でない。ただ、今のシステムにあんまり適応できないだけなんだ、なんて思い始めています。

 生活を根幹から考え直してみると、自分にとてもあった生き方があるかもしれない。身体がだるいのも、何とかつきあいながら生きる方法があるのかもしれない、と考えたりしています。

 明日闘うために、とりあえず今日は闘わず、のんびり、のほほんと過ごしています。今日はすごくだるいんです。でも、明日だるくないかもしれない。だるくてもなんかできるかもしれない。

 今日はのほほんとしてます。